vol.1

琵琶湖。日本一の湖でバスフィシングをするようになり23年になる。
初めて琵琶湖で釣りをしたのは高校2年の夏休みだ。当時中部のフィールドは入鹿池、伊自良湖、木曽川、大江川、五三川でバスが釣れるフィールドは多く毎週どこかでルアーを投げていた。今思えば魚はスレていなかったが、タックル・技術等未熟な為、1日1匹釣れればOK、40UPはヒーロー、50UPは釣り雑誌に載っちゃうくらい幻?のサイズ、それこそ釣具屋で大自慢、魚拓もんでした。
時代はトップウォータープラッギングがバス釣りの醍醐味的な記事が雑誌に紹介さ れ、大人はトップを楽しむみたいな空気があった。もちろんその影響をうけ、ラッキー13、ザラスプーク、バスオレノなどの大型トップがボックスを埋めていた。小遣いの少ない自分たちは同じ値段を出すならタイニー系より5/8OZクラスの方がボックス一マス埋まり充実感があったからで、増えていくのはそういった物ばかりだった。やはり動かしきれず釣果は散々だったが、雑誌には”釣れても、釣れなくてもその過程がゲーム”的なことが書いてあるし大人の釣りは難しいなと思っていた。、国産メーカーは海外製品のコピーぽくてロッドもリールもアメリカ製最高!!みたいな感じだったし、もちろんフェンウィックなんてとても手が出ず、アンバサダーもCの付くベアリングモデルも同様に高かった。最大の収入源のお年玉を貯めて念願のスーパーストライクFO-60、ABU5500を手に入れたのだった。
メインであり超一軍タックルのFO-60を担いでバス釣りに行くが釣果は一向に伸びなかった。一本のロッドでワームからクランク何でもやるため少し使いづらいなと思っても次のロッドも買えるはずもないし、なによりスーパーストライクを所有するステータスみたいなのがあり使い続けた。
学校帰り毎日入り浸っていた岐阜のプロショップ・テールウォークで知り合った一年先輩のT氏と西の湖へ行く事になった。夏休み中釣りをするために寝袋と釣り道具だけを持ってケッタ(地元では自転車の呼び名)で休みに入るとすぐ出発し西の湖を目指した。日中は暑いからと夕方岐阜を出た。道中パンクしたり野犬に追われたりしたが午前4時ぐらいに到着したと思う。気持ちは未知のフィールドへの思いでぜんぜん疲れず、まだ薄暗い中釣り始めた。
西の湖最高!!めちゃくちゃ釣れた。トップ、ワームがあれほど釣れると思っていなかったし、スピナーベイトまで釣れて1日の最高匹数を軽く更新し最高の初日だった。
日中あまりの暑さで琵琶湖で泳ぐことになり、長命寺から牧の水泳場へ。牧で泳ぎながらルアーを投げてみるがぜんぜん釣れず、”広い琵琶湖ではバスいないんだ”と勝手に思い込んでいた。夕方西の湖へ戻る途中衝撃的な場所に遭遇することになった。パット見、何の変哲も無い水門だったのだが両サイドが護岸され突堤のように琵琶湖に出ている見晴らしの良い水門で、完成したばっかりのようだった。ためしに自作の細身のペンシルベイト(自称ワリバシ)をアシの横へキャストすると着水と同時にバスが全身もんどりうって出た。35cmクラスだが体系はフッボールのようにパンパン、めちゃくちゃ引いてジャンプするし大江川など地元のバスとは比べ物にならない、雑誌に載っていたアメリカのバスそのものだった。しばし見とれてしまう位魚体はきれいで今でも鮮明に覚えている。その後はワンキャストワンヒット、ビッグバド・ビッグラッシュ・バグリーB4など大型トップからフロリダランカー・ジェリーワーム8’ルアーを換えれば釣れ続き日が落ちても夢中で釣り続けた。スレていないとはこの事で1日で年間バスゲット数は優に超えてしまった。サイズは30センチからマックス43cmどまりで今から思えば繁殖途上期の粒ぞろいだったような気がする。
夏休み中いるはずだったが、パンク修理分が響き予算(小遣い)の関係でなんと、所持金120円二人合わせても千数百円しかなく4日滞在で帰宅することになった。帰宅は、夜間の方が涼しく走行しやすいと判断し夕方まで釣りをし帰ることに、でも育ち盛りのティーンエイジ二人、これ以上腹が減っては帰れんと雑貨屋を探すが、さすが西の瑚、なにもない。今と違ってコンビニなんてないし、二人は街道にある焼き肉屋へ入ることにした。事情を説明して所持金分で食べさせて下さいと頼むとおばちゃんは、800円(二人分)で食べ切れない位の肉とご飯を出してくれた。そのときは超ラッキー位にしか思わなかったが大変有難いことで、今から思うと当時の馬鹿さ加減に我ながら恥ずかしくなってしまった。
腹を満たし帰路についたのだが、夜中子供二人がウロウロしていると来るのが、族かおマワリさん。後ろからハイビームで照らされ後者の白黒の車に呼び止められた。事情聴取されこれから岐阜へ帰る事を説明するとあきれたような顔をしたが、深夜徘徊になること、トラブルに巻き込まれるから米原駅で5時まで待機しなさいといわれ米原駅まで行くことに。しかしそこから遠くて駅到着時は5時半。いい加減な説明に腹を立てそのまま岐阜へ向かった。今から思うと競輪選手になれたかも・・・こうして初琵琶湖釣行を終え、それから琵琶湖、沖ノ島・長命寺方面へ通うことになる.。