釣りの醍醐味
散々な結果になったバスから午後は雷魚へ転向。
雷魚の方が当然僕の釣り履歴の中では古いターゲット。
ルアーを始めた頃バスは身近に居なかった。芦ノ湖、御蛇ヶ池、一碧湖など生息する場所は遠く限られていて中部では唯一入鹿池のみ、その入鹿池でも愛知県にあるため親父に連れて行ってもらうしかないので年に2,3回が限度であった。
幸い岐阜は川、池など自然がいっぱい?だったので釣りをする上ではこの上ない環境だったと思う。
近場でルアーで釣るメインターゲットは雷魚、ナマズ、ウグイなどである。
第一期雷魚ブーム?
昔、JLAAが雷魚ダービーなるものを全国的に開催していた。バスより身近な雷魚で競うフォトトーナメントである。それに登録した藤井少年はせっせと雷魚釣りをしていたのである。
岐阜からのエントリーが多かった事を見ても雷魚においてはその当時全国的にも恵まれてたと思う。じつに身近なターゲットだった。
月日は流れ大江川でバスが釣れ始めるとメインターゲットはバス。免許を取り行動範囲が拡大した二十歳頃までほとんど雷魚を釣らなくなった。雷魚はバスの外道的な扱いである。
この頃、昔を懐かしんだ仲間内で雷魚ブームが始まる。
リリーパッドハスキー、マグナムハスキー、スピードステックの6番など、昔使っていた道具を持ち出し雷魚釣りに行くようになったのだ。
そうこうしてる内に専用の雷魚ロッドが出され、スナッグプルーフ等のオリジナル改造が流行ってきた。ダクロンラインを使い中空フロッグが主流になってきたのだ。
釣り場に行っても雷魚をやってる人は皆無で、ヒシモがびっしりの池ではバスマンも手を出しにくいのか居ない。貸切である。雷魚の出方も昔と一緒で派手にヒシモを割ってくる。
しかし、昔よかった野池は開拓が進み、埋め立てられ無くなってる所が多く釣り場は減少していた。
雷魚釣りは近場の釣りと思っていたのだが、近くでゲームが出来なくなって来たのである。
”雷魚釣りは身近で済ます”そんな感じの魚だったが、雷魚釣りで遠征までしないと釣れない時代になった。この時にも寂しさを感じたのだが、今思えばまだ良い時代だったのかもしれない。
滋賀に来てからも夏になると竿は出していた。
毎年ヒシがはり始める時にはバス釣りの合間を見てロッド出していたのだが、1発も出ない事は普通。一発でも出たならば大満足の釣りだった。さらに進んだ釣り場の減少である。
”藤井さんが喜ぶと思いますよ”
案内された場所は岐阜・養老や穂積の池を彷彿させる場所だった。

痺れた。少し涙が出そうな位・・・
この様な場所がまだ在ったことに感謝である。
3発立て続けに出た。60台2本と79cm。場所を替え行く池行く池で出る。
フロッグの後ろのヒシが大きく揺れる。その瞬間、自分の息が止まるのが判る・・・
”ついた!!”
小刻みに誘う。
”バスッ”とも”ドフッ”とも聞こえる捕食音が耳元に届く。
乗っても乗らなくてもこの音。これが良い。

入道雲もどこか昔を思い出せる風景で最高の一日だった。
10年後も同じ感覚で釣りを出来ること願いたい。
雷魚の方が当然僕の釣り履歴の中では古いターゲット。
ルアーを始めた頃バスは身近に居なかった。芦ノ湖、御蛇ヶ池、一碧湖など生息する場所は遠く限られていて中部では唯一入鹿池のみ、その入鹿池でも愛知県にあるため親父に連れて行ってもらうしかないので年に2,3回が限度であった。
幸い岐阜は川、池など自然がいっぱい?だったので釣りをする上ではこの上ない環境だったと思う。
近場でルアーで釣るメインターゲットは雷魚、ナマズ、ウグイなどである。
第一期雷魚ブーム?
昔、JLAAが雷魚ダービーなるものを全国的に開催していた。バスより身近な雷魚で競うフォトトーナメントである。それに登録した藤井少年はせっせと雷魚釣りをしていたのである。
岐阜からのエントリーが多かった事を見ても雷魚においてはその当時全国的にも恵まれてたと思う。じつに身近なターゲットだった。
月日は流れ大江川でバスが釣れ始めるとメインターゲットはバス。免許を取り行動範囲が拡大した二十歳頃までほとんど雷魚を釣らなくなった。雷魚はバスの外道的な扱いである。
この頃、昔を懐かしんだ仲間内で雷魚ブームが始まる。
リリーパッドハスキー、マグナムハスキー、スピードステックの6番など、昔使っていた道具を持ち出し雷魚釣りに行くようになったのだ。
そうこうしてる内に専用の雷魚ロッドが出され、スナッグプルーフ等のオリジナル改造が流行ってきた。ダクロンラインを使い中空フロッグが主流になってきたのだ。
釣り場に行っても雷魚をやってる人は皆無で、ヒシモがびっしりの池ではバスマンも手を出しにくいのか居ない。貸切である。雷魚の出方も昔と一緒で派手にヒシモを割ってくる。
しかし、昔よかった野池は開拓が進み、埋め立てられ無くなってる所が多く釣り場は減少していた。
雷魚釣りは近場の釣りと思っていたのだが、近くでゲームが出来なくなって来たのである。
”雷魚釣りは身近で済ます”そんな感じの魚だったが、雷魚釣りで遠征までしないと釣れない時代になった。この時にも寂しさを感じたのだが、今思えばまだ良い時代だったのかもしれない。
滋賀に来てからも夏になると竿は出していた。
毎年ヒシがはり始める時にはバス釣りの合間を見てロッド出していたのだが、1発も出ない事は普通。一発でも出たならば大満足の釣りだった。さらに進んだ釣り場の減少である。
”藤井さんが喜ぶと思いますよ”
案内された場所は岐阜・養老や穂積の池を彷彿させる場所だった。

痺れた。少し涙が出そうな位・・・
この様な場所がまだ在ったことに感謝である。
3発立て続けに出た。60台2本と79cm。場所を替え行く池行く池で出る。
フロッグの後ろのヒシが大きく揺れる。その瞬間、自分の息が止まるのが判る・・・
”ついた!!”
小刻みに誘う。
”バスッ”とも”ドフッ”とも聞こえる捕食音が耳元に届く。
乗っても乗らなくてもこの音。これが良い。

入道雲もどこか昔を思い出せる風景で最高の一日だった。
10年後も同じ感覚で釣りを出来ること願いたい。
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